国民の眼は今や一点、十六日に向けられている。果たしてどんな結果が出るか、それはこの日本国家の存亡そのものを決するものとさえ、思われてならない。
三年前の夏、各メディアは競って「政権交代」を煽った。しかし、その結果は無惨なほどの失望と国家破壊の現実であった。そのことは今や当のメディア自身が認める現実だともいってよいが、とすれば、その過ちを二度と繰り返さないためには何が必要か? 投票を控えた今、われわれがまず考えるべきはこの問題ではないか。
ここであえて結論を先にいわせていただく。筆者は「国家」を議論の中心に据えることだと指摘したい。民主党政権がもたらした失望と混乱も当然そこに帰着すると考えるのだが、この「国家」がこれまで国民の真剣な議論の対象となってこなかった、という現実の中に、日本政治をかくまで迷走させた原因があると考えるのだ。
民主党政治の最大の問題は、この「国家」を完全に欠落させた政治、という点にあった。卑近な例でいえば、住宅会社が家の土台や構造を強固にすることに一向に関心をもたず、どうでもよい見てくれや、上辺の快適性や、新奇な生活スタイルなるものにのみこだわろうとしてきた、といった話である。そこに大地震が襲い、これまで家の安定や家族の生命の安全を一体どう考えてきたのだ、と大混乱に陥っているという話だ。
とはいえ、それにもかかわらず、この肝心な論点は今回の選挙でも無視されようとしている。各メディアの関心は今回は「第三極」の行方ということで、連日このテーマが報道の中心になっている。この問題が重要でないというのではないが、論ずるならばむしろ彼らが正面に掲げている政策の方を論じて欲しい。しかし、これに対する論評は全く行われず、ただこことここは連携の話がついただの、ここは排除されただの、といった話題がほとんどだ。政権獲得の可能性がまだ低いということもあるにせよ、第二党の可能性はあるだけに、厳しい検証がないというのは重大な問題だと指摘したい。
というより、今この日本で、彼らのいう中央主権の打破だの、消費税の地方税化だのというものが果たして最重要の問題かが問われるべきだと思うのだ。それが下らないというのではない。しかし何よりも、例えばまず隣国中国とどう対峙し、どう日本の主権を守っていくか、といった問題がまず問われるべきだといいたいのだ。
誤解を恐れずにあえていわせてもらえば、いま日本と中国は武力衝突すら想定される緊張関係にある。とすれば、いま議論すべきは現下の防衛体制をどう強化するかとか、日米同盟関係をどう深化するかとか、日本外交のあり方をどう毅然としたものに変えていくか、といった課題であるはずだ。
それだけではない。ここまで日本が見くびられるに至った背景には、長引くデフレに何ら有効な手を打つこともなく、ただ漫然と経済の後退を見過ごしにしてきたわが国の経済政策の無策、といった問題もある。となれば、これをどう改めていくかも、重大な議論のテーマになるはずだろう。
にもかかわらず、「第三極」の面々にはそうした問題意識が見られない。ただ何とかの一つ覚え宜しく、「統治機構改革」をいうのみなのである。こんな小手先の技術論で、果たして今日の日本の根本問題は解決されるのか。「小異を捨てて大同につく」のもよいが、今のこの日本における「大同」はあくまでも「国家」で、「小異」というのはそれを実現していく「手段」だといいたい。
その一方、自民党の選挙公約は真っ当である。それだけメディアの反発も強いが、何とか同党中心の安定政権を実現してほしい。筆者としてはそれを祈るのみだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)
〈『明日への選択』平成24年12月号〉
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